深井順子です。今回、FUKAIPRODUCE羽衣は解散することになりました。
20年間続けてきて、これを決めたというのは、正直とても迷いました。
けれど今、羽衣という劇団を、引っ張ってゆく力が自分にはない気がしました。
それは、38歳の時に母が亡くなり、それまでは、25歳でFUKAIPRODUCE羽衣を結成した時には、
母がいつも稽古に来たり、差し入れしたりみんなでご飯を食べたり、本番を全部観に来てくれたりとかしていて、それが当たり前だと思っていました。
そして38歳の時に母が亡くなり、そこからなんて自分は弱いんだろう、と感じました。
母がいて、劇団が続けて来れたんだろうなということが大きく、
みんなの、一人一人を大切にしたかったのに、それができなくなってしまった。
それが、みんなに対して申し訳なかったな、という気持ちと、自分が歳を重ねたから、糸井くんの表現の中心に、糸井くんが置いてくれていたのに、その表現に追いついていけなったというものがありました。
最近の自分に関しては自分のことしか考えられず、メンバーの一人一人の人生であったり生活を、考えられなかった、というのが正直なところです。
けれど20年間やってきて、ずっと応援してきてくださった方や、関わってくれたスタッフの方は、私にとって、本当に生きててよかったなと今も思います。
私は、今も糸井くんの作品は本当に凄いと思っていて、ずっと糸井くんの作品は永遠であって欲しいと思っています。
解散してしまうから、しばらくは糸井くんと作品は作れないかもしれませんが、いつかまた、糸井くんと一緒に作品を作れたらいいなと思う、解散なのかなと思っています。
なので…もっと自分が心や身体を整えて、みなさんの前に立ちたいなと。
もっと…きちんと…、ということではないけど、人の気持ちをちゃんと考えたり、しなければいけないんだな、と思いました。
最近の私は自分のことしか、考えられなかった。それはやっぱり年齢と身体のきつさが本当にあって、それを、メンバーにやはり巻き込んでしまったというのは、すごくあると思うから、解散という形をとりました。
でも、これは、また、ゼロからのスタートだと私は思っています。
何か、区切りというか、みんなが私や糸井くんに気を使う団体は良くない。けれど、という気持ちもあります。
舞台に立つときには、みんな同じだと思うんです。
お金をいただいて表現する。その時に、自分にはそれまでの価値があるのかな、と思いながら、私は舞台に立っています。
ので、劇場まで足を運んでくださったみなさんであったり、応援してくださったみなさんが、一番だと、今でもそれは変わらず思っています。
その中で、やはり、今の自分には、力不足だなと思いました。
ので、解散という形をとりました。
けど!自分で表現するということはやめたくないし、楽しいから、楽しいからやっていきたいと思いました。
希望も抱えた解散です!
本当に今まで、ありがとうございました。
でも、これが終わりではなく、始まりだと思って、私はやっていきたいと思います。
深井順子
FUKAIPRODUCE羽衣はこの発表を以て解散します。
世相も移り変わり、メンバーたちも年齢を重ね変化する中、劇団として創作に向かうことが難しくなってしまいました。
と書いてみましたが、ただ私の、芸術や演劇、劇団への情熱が減退しただけかもしれません。
20年間、様々な人々が羽衣の作品創作に傾けてくれた膨大な時間を思うと、なんだか気が遠くなるような、自らの業の深さを感じます。
業の深さついでに言うと、全ての作品一つ一つが私にとって大切なものですし、楽しい思い出ばかりです。
お世話になった皆様、ありがとうございました。
関係者の皆様、ありがとうございました。
スタッフの皆様、ありがとうございました。
俳優の皆様、ありがとうございました。
そして深井さん、楽しかったね。
私は演劇作品を陶芸のように思っています。
劇場が窯で、観客が火です。観客の炎に焼かれて初めて演劇作品は生まれます。
観客の皆様、本当にありがとうございました。
先日、中3になる息子に羽衣が解散することを伝えました。
息子は「解散より散開の方がいいんじゃない?」と言っていました。(息子はYMOファン)
改めて散開の意味を調べてみたら、広く散らばること、とありました。
良い言葉だと思いました。
糸井幸之介